森崎東監督を「宴会映画」と呼ぶ人がいます。
監督自身が、この『生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言』(以下『党宣言』)のクランクインに際して、「宴会やるのが楽しいから映画を撮る」「宴会のように映画を撮りたい」といったことから来る呼び名ですが、
確かに『党宣言』という映画は、登場人物が多彩で、一本の映画が作れるようなキャラクターが次から次へと登場して、暴れまわるといった感が強く、「宴会映画」の呼び名にふさわしいといえます。
それにしてもこの『党宣言』ほどあらすじを紹介しにくいものはない。推薦者泣かせです。
例えば“all
cinema online”にはこのように紹介されていますが、ちっとも面白くなさそうだ。
「名古屋に帰ってきた旅回りのストリッパー、バーバラ。原発を転々と渡り歩く原発ジプシーの宮里とは沖縄のコザ暴動以来の間柄で、バーバラはそろそろ二人で堅気の商売について結婚したいと思っていた。バーバラは宮里の顔を見るや、アイコのことを糺した。アイコは福井の美浜で原発労働者相手の娼婦をさせられていたところを、宮里が救い出したのだった。それが、前日、美浜へ帰ってしまっていたのだった」
© キノシタ映画
『ペコロスの母に会いに行く』でも介護という問題を扱い、その問題を浮き彫りにしながら、そこでは留まらない。凡庸な映画なら、そこで問題を提起して終わるでしょうが、森崎作品の登場人物は、その肉体でもって必ずその先へと進んでいく。その力強さ、ひたむきさ。これこそが筆者が森崎東に魅せられる理由です。
『党宣言』にもさまざまな問題が描かれていきます。校内暴力、外国人雇用問題、差別、沖縄問題など。
しかしそんな中で現代を生きる私たちがもっともハッとさせられるのは原発問題でしょう。「原発ジプシー」なる名前を筆者はこの映画で知りました。核廃棄物の処理にかかわる危険労働者の実態を描いた映画は、記録映画などにはを含めて他にもあるのでしょうが、『党宣言』ほど物語と融合した形で描かれているものを筆者は知りません。今、原発問題を考える上でも必見の映画であるといえるでしょう。
© キノシタ映画
しかしながら先にも書いたように、そこは森崎東の映画ですから、問題提起の映画ではとどまらず、ほかの問題とも絡み合いながらも大いなる人間喜劇となっているのがこの『党宣言』の魅力です。一日を生きることの喜びと悲しみ、それを踏みにじるものへの怒りと絶望、そのすべてを呑み込んだ人間喜劇。
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