2014年5月11日日曜日

【第20回宮崎映画祭上映作品その9】『皇帝と公爵』

20年続いている宮崎映画祭ですが、その作品選定の大きな基準は「宮崎未公開」。
もちろん例外も多いのですが、基本的には宮崎で公開されていない映画を積極的に選んでいこうというのが基本姿勢です。したがって宮崎で紹介されていない映画作家の紹介には思わず力が入ります。『ブロンド少女は過激に美しく』のオリヴェイラなどはそんな映画作家でした。他にも再発見したい映画作家などがいて、実は前からルイス・ブニュエルを映りたいと思って…、おっとこれは脱線。

そんな、いつか紹介したい(というか自分が見たい)映画作家の中にラウル・ルイスという映画作家がいます。この人は、その経歴が凄い。

1941年チリ出身の彼は、60年代から作品を発表しだし、73年にチリ軍事政権誕生の影響で亡命。その後ヨーロッパはフランス、ポルトガル、そしてアメリカなどで低予算映画を映画を撮りまくり、その後プルーストの翻案『見出された時』で国際的な名声を確立後、『クリムト』『ミステリーズ 運命のリスボン』など日本でも公開されている大作を手がけつつ、同時に民主化後のチリでの製作を再開して若い作家や観客との出会いを果たし、祖国を代表する巨匠として認知された後、2011年に惜しくも亡くなっています。
しかし世界各地で作った映画、なんとその数100本超!
撮影所がまともに機能していた全盛期のハリウッドや日本ならともかく、国から国へと渡り歩きながら100本もの映画を撮り上げるラウル・ルイスは20世紀後半の最も摩訶不思議な映画作家と言われています。

© ALFAMA FILMS / FRANCE 3 CINEMA 2012

今回宮崎映画祭で上映する『皇帝と公爵』は最晩年のラウル・ルイスの未完のプロジェクトを、その妻で同じく映画作家であるバレリア・サルミエントが監督し完成させました。

© ALFAMA FILMS / FRANCE 3 CINEMA 2012

それにしても集合した俳優陣の豪華なこと!
ジョン・マルコビッチ、カトリーヌ・ドヌーブ、ミシェル・ピッコリ、イザベル・ユペール、キアラ・マルストヤンニ、メルヴィル・プポー、マチュー・アマルリックなど、多彩な登場人物の顔を見ているだけで楽しめること請け合いの作品です。

© ALFAMA FILMS / FRANCE 3 CINEMA 2012


物語は19世紀のポルトガル。度重なるナポレオン皇帝の侵攻と、それを食い止めるポルトガルの知将ウェリントン将軍の戦いと、それぞれの人間模様、さらに戦火の中の生き抜く市井の民衆の姿を交えながら描く歴史絵巻となっています。
圧倒的な戦力を眼の前に、それを知力で乗り切っていくその姿が感動的ともいえる『皇帝と公爵』を是非、お見逃しなく!

【第20回宮崎映画祭上映作品その8】『日本のいちばん長い日』

大宅壮一のベストセラー・ノンフィクションを元にした、ポツダム宣言受諾決定の1945814日正午から、玉音放送が流れる翌15日正午までを描く、気骨溢れる傑作映画です。1967年度キネマ旬報第3位。

…とここまで書いて不安になったのですが、大宅壮一はまぁいいとして、ポツダム宣言とか玉音放送とか、だ…。いやそんなことはないですよね? 安心して進めますよ。

実は、ポツダム宣言受諾決定の後の14日のうちに玉音放送は録音されたわけですが、そのテープをめぐって。政府、軍部、新聞社、メディアの丁々発止が水面下で行われたのです。そして反乱、暴発、悩乱などわずか24時間のうちに様々な事件が発生する。本作品はそれをスピーディーなカット、畳み掛けるテンポのよさ、効率のよいナレーション(仲代達也!)によって整理し、判りやすいダイナミックな娯楽映画となっています。



そして本作の見どころとして、何と言ってもその豪華な出演陣を挙げておきましょう。予告編を見てみると「東宝創立35周年記念映画」の次に、「日本映画演劇陣総出演」とあります。

三船敏郎、志村喬、宮口精二、加東大介の『七人の侍』組!
土屋嘉男、田崎潤、平田昭彦、藤木悠、小泉博の東宝特撮常連組!
中村伸郎、笠智衆、北竜二の後期小津の変態トリオ!
他にも、若大将こと加山雄三、姿三四郎こと藤田進、後の仕置人こと山村聡と高橋悦史、死神博士こと天本英世、「よしわかった」の加藤武、ハングマンこと黒沢年男、ザ・ガードマンこと神山繁、アタック25の児玉清、裸の大将の小林桂樹、矢七の中谷一郎、演劇界の重鎮・島田正吾、他にも戸浦六宏、北村和夫、石山健二郎、伊藤雄之助…、日本映画演劇陣、総出演に偽りはありません。



監督は、『独立愚連隊西へ』『暗黒外の顔役』『肉弾』『座頭市と用心棒』『ブルークリスマス』『ダイナマイトどんどん』『ジャズ大名』『大誘拐』など娯楽映画の傑作を残す名監督。は岡本喜八! 脚本は『七人の侍』『砂の器』など日本を代表する橋本忍!


来年は終戦=敗戦から70年。様々なメディアがこの映画を取り上げること、間違いないでしょう。どうか一足早く1945815日に思いを馳せてみてください。我々はこの日の延長線上にいます。





2014年5月8日木曜日

【第20回宮崎映画祭上映作品その7】『生きてるうちが花なのよ 死んだらそれまでよ党宣言』

森崎東監督を「宴会映画」と呼ぶ人がいます。
監督自身が、この『生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言』(以下『党宣言』)のクランクインに際して、「宴会やるのが楽しいから映画を撮る」「宴会のように映画を撮りたい」といったことから来る呼び名ですが、
確かに『党宣言』という映画は、登場人物が多彩で、一本の映画が作れるようなキャラクターが次から次へと登場して、暴れまわるといった感が強く、「宴会映画」の呼び名にふさわしいといえます。

それにしてもこの『党宣言』ほどあらすじを紹介しにくいものはない。推薦者泣かせです。
例えば“all cinema online”にはこのように紹介されていますが、ちっとも面白くなさそうだ。

名古屋に帰ってきた旅回りのストリッパー、バーバラ。原発を転々と渡り歩く原発ジプシーの宮里とは沖縄のコザ暴動以来の間柄で、バーバラはそろそろ二人で堅気の商売について結婚したいと思っていた。バーバラは宮里の顔を見るや、アイコのことを糺した。アイコは福井の美浜で原発労働者相手の娼婦をさせられていたところを、宮里が救い出したのだった。それが、前日、美浜へ帰ってしまっていたのだった」

© キノシタ映画

『ペコロスの母に会いに行く』でも介護という問題を扱い、その問題を浮き彫りにしながら、そこでは留まらない。凡庸な映画なら、そこで問題を提起して終わるでしょうが、森崎作品の登場人物は、その肉体でもって必ずその先へと進んでいく。その力強さ、ひたむきさ。これこそが筆者が森崎東に魅せられる理由です。
『党宣言』にもさまざまな問題が描かれていきます。校内暴力、外国人雇用問題、差別、沖縄問題など。
しかしそんな中で現代を生きる私たちがもっともハッとさせられるのは原発問題でしょう。「原発ジプシー」なる名前を筆者はこの映画で知りました。核廃棄物の処理にかかわる危険労働者の実態を描いた映画は、記録映画などにはを含めて他にもあるのでしょうが、『党宣言』ほど物語と融合した形で描かれているものを筆者は知りません。今、原発問題を考える上でも必見の映画であるといえるでしょう。

© キノシタ映画


しかしながら先にも書いたように、そこは森崎東の映画ですから、問題提起の映画ではとどまらず、ほかの問題とも絡み合いながらも大いなる人間喜劇となっているのがこの『党宣言』の魅力です。一日を生きることの喜びと悲しみ、それを踏みにじるものへの怒りと絶望、そのすべてを呑み込んだ人間喜劇。
本作は故・原田芳雄さんのベストワークのひとつであり、倍賞美津子さんがあらゆる映画賞の女優賞を獲得した、80年代日本映画のメルクマールです。





2014年5月6日火曜日

【第20回宮崎映画祭上映作品その6】『生きるべきか死ぬべきか』

1939年ポーランド。その9月にナチスドイツのワルシャワ侵攻で幕を開ける第二次世界大戦は、様々な殺戮を繰り返した、20世紀最大の事件であり、悲劇であるということに異論のある人はそんなになかろうと思います。この作品は、そんな時代のワルシャワを舞台にしたある劇団の、レジスタンスと脱出を描く喜劇です。


アメリカでの初公開は1942年。その内容が、あまりに敵国であるドイツを喜劇的に描いたものであるために非難が噴出したといいます。
このような世相は、古今東西、今も昔も変わらないわけですが、そんな事情からすぐにこの作品はいわゆる「オクラ」に入れられてしまいます。長らく知る人ぞ知るブラックコメディのカルト作品という扱いでした。メル・ブルックスは1983年に『メル・ブルックスの大脱走』の名前で発表した作品は、このルビッチの忠実なリメイク作品です。


日本ではテレビ公開作品として一度だけ『お芝居とスパイ騒動』という小洒落た邦題で放送されているようですが、正式な劇場公開は1988年になります。
「リュミエール」という80年代後半を席巻した映画雑誌の連動企画という形で、筑摩書房から発売されたビデオの中にこの『生きるべきか死ぬべきか』がチョイスされることになります。そして公開されるや、その面白さにたちまち多くの映画ファンが虜になりました。
かくいう筆者もその一人ですが、バブルがはじけると同時に何故か劇場ではお眼にかかることがなくなってしまった。筆者の記憶では92年に福岡で見たのが最後だと思います。


筆者が映画祭に関わることになり、プログラムを選定する際、実は必ず念頭にあったのはこの『生きるべきか死ぬべきか』です。機会あれば上映しようと決心していましたが、上映用のプリントが見つからない。
ところが今年になって、ようやく小さい上映会や、比較的大きな特集上映でこの『生きるべきか死ぬべきか』の名前を見つけるようになりました。聞けば、それらの上映プリントは個人で入手してオリジナルの字幕を付けているのだそうです。う~ん、そこまでの情熱はなかったな。
想像するに、やはり80年代後半に『生きるべきか死ぬべきか』の面白さに撃たれてその人生が変わった人がいるのでしょう。多分、こう呟いている。「まさか映画のプリントを買って、自分でそれを上映するとは思わなかったな」と。


この映画は抜群に面白い。しかもその面白さたるや、人の人生を変えるような、いわば危険な面白さに満ちています。20世紀の悲劇と、シェイクスピアの大悲劇、この二つが20世紀最大の喜劇に変わっているわけだから、これは誇張ではないと思っています。
是非、ご高覧下さい。

2014年5月5日月曜日

【第20回宮崎映画祭上映作品その5】『ペコロスの母に会いに行く』

ゴールデンウィーク満喫中のなすありさです(^^)d
わたくし、普段は精神保健福祉士として、認知症デイケアに勤めています!

認知症って、もちろん聞いたことあって勉強もしてたはずなのに、今の職場に来て驚きの連続です!!!

人それぞれのストーリーがあり、それが症状に凄く影響しているんです(・▽・)
それぞれのストーリーを知るたびに『素晴らしい人生だ!!』と関わらせて頂いている喜びを感じています(^▽^)♪




今回、宮崎映画祭で上映される『ペコロスの母に会いに行く』は認知症の母と息子のストーリーです!

きっと皆さんも『認知症も悪かことばかりじゃなかかもしれん。』とおもえることでしょう(^^)
個人的には、一青窈さんによる主題歌『霞道』もステキだと思っています♪

ぜひ、大切な人とお越しください(^^)d


© 2013「ペコロスの母に会いに行く」製作委員会


2014年5月3日土曜日

【第20回宮崎映画祭上映作品その4】『ニシノユキヒコの恋と冒険』

映画を観る時に、まず私たちの目に映るのは俳優さんの演技や風景としての映像です。好きな俳優さんが出ているからという理由で映画を選ぶこともあるでしょう。映画作りにはもちろん俳優さんのみならずたくさんのスタッフが関わっていて、その現場の雰囲気が自ずとできあがった映画に反映されているのではないかと思うことがあります。


映画『ニシノユキヒコの恋と冒険』は、芥川賞作家の川上弘美さんの同名小説を原作とした作品。タイトルからもわかる通り、恋愛をひとつのモチーフにした映画です。井口奈己監督の映画では、これまでの作品(『犬猫』や『人のセックスを笑うな』等)でも登場人物たちの恋愛模様を描いています。

© 「ニシノユキヒコの恋と冒険」製作委員会

今作のメインキャラクターであるニシノユキヒコを演じるのは、老若男女の人気者といっても過言ではない竹野内豊さん。そして、ニシノに恋する女性たちを、尾野真千子さん、本田翼さん、成海璃子さん、木村文乃さん、阿川佐和子さん、麻生久美子さん、ニシノの物語の聞き手としての役割も果たす少女を中村ゆりかさんが演じています。
このキャスティングだけでも、目の保養になりそうだし、映画だけに留まらない幅広いシーンで大活躍なメンバーで、ワクワクさせてくれます。

私は当映画祭の上映より一足早く福岡の劇場で観てきたのですが、この豪華な女優陣のみなさんがとにかく可愛い!
女優さんが可愛いなんて当たり前のようですが、今作はその当たり前に加えて、まるで人の恋愛を本当に覗いているみたいな、映画ということも忘れてこっちまで耳が赤くなってしまうような艶やかな表情を見せてくれるのです。

これって、凄いことじゃないかと思います。
女優さんは演技をしていると思うけれど、その表情から本当にドキドキしているのが伝わってくるし、それを引き出せたのは紛れもなく監督や周りのスタッフのみなさん。今まで見たことない尾野真千子や本田翼が見られるのは保証します。

井口監督の映画ではいつも恋をしている男女の姿が見られるけど、その人の剥き出しの部分が見えてドキッとしたり、観客の私たちの側にもそういった心当たりがあってハッとしたりして、そこにそれぞれの人生があるから映画体験としていつも新鮮で心地よいのだと思います。

© 「ニシノユキヒコの恋と冒険」製作委員会

そして今作は、少し湿った風のにおい、いい角度で折り返した坂道、海の見える線路、出てくるだけでちょっと嬉しい映画館、音楽、タイトルバックのイラスト等、すべてが重なっていい感じにリラックスして観られます。
ニシノがすべての女の人を虜にしてしまうように、観る人それぞれに違った懐かしさや頷きを与えてくれるこの映画。映画館まで、ぜひニシノに会いに来てください。


2014年5月2日金曜日

【第20回宮崎映画祭上映作品その3】『ビフォア・ミッドナイト』

1995年に公開され、ベルリン国際映画祭で金熊賞を受賞した「ビフォア・サンライズ 恋人までの距離(ディスタンス)」。
旅行先でたまたま出会ったイーサン・ホーク演じる男性と、ジュリー・デルビー演じる女性が一目惚れから、不意に降り立ったウィーンで一晩を過ごすラブ・ロマンス作品。
普通のラブ・ロマンスではなく、話の方向のみを与え、後は主演の2人が会話しそれを長回しで取っていくという構成にしたことで、まさに恋人ならではのリアルな空気感を生み出すことに成功している。
それもあって、他の恋愛映画とは一線を画す恋愛映画の金字塔となった。

別れた2人の9年後を描く「ビフォア・サンセット」(2004)はパリを舞台に、ロマンスの顛末を同じスタイルで描きながら、一夜では終わらない大人の恋の行方を描いた作品だった。

 © 2013 Talagane LLC. All rights reserved.

そして、今回宮崎初公開の本作は2作目「ビフォア・サンセット」の更に9年後を描いた作品で、前2作と同じく、監督リチャード・リンクレイター、主演男優イーサン・ホーク、主演女優ジュリー・デルピーという今世紀最高のコンビによる19年に亘る壮大なる恋愛映画3部作となった。

 © 2013 Talagane LLC. All rights reserved.

シリーズをずっと観てきた人にとっては、いつもの会話劇のリアル感を堪能できるとともに、1作目のウィーン、2作目のパリ、そして本作のギリシャと、旅行に行ったような空気感をスクリーンから感じられるのも作品としての魅力となるところだろう。
会話劇としても優れているのは、2作目3作目ともに、監督主演の3人による脚本がアカデミー賞にノミネートされたことでもわかると思う。

© 2013 Talagane LLC. All rights reserved.

宮崎映画祭で無事公開される本作だけ観ても十分堪能できると思われるが、時間のある方は映画祭までに「ビフォア・サンライズ 恋人までの距離(ディスタンス)」と「ビフォア・サンセット」を見てから本作に臨むと更に楽しめると思われます。


2014年5月1日木曜日

【第20回宮崎映画祭上映作品その2】『丹下左膳餘話 百萬両の壺』

時は江戸時代。ある小藩に、大いなる財産が眠っていた。
その金、なんと百万両! 野暮承知で百万両とはいくらかと答えれば、1両当たり10万円ほどだと答えておきましょう。ということで、この小藩の藩主は大いに盛り上がる。
で、どこにそんな大金がと問えば、先祖代々の「こけ猿の壺」に隠し場所が書いているという…。実はこの先祖代々の壺、汚らしいとの理由で次男が養子先に持っていったのだった。

「しかしあの次男坊、呑気だから、適当なこと言って返せと言えば返しますよ。もしゴネればちょいと金をつかませれば直ぐに軍門に下りますわ、ワハハ」と見事に見下された、百万両の壺の持ち主・柳生源三郎。果たして思惑通り事は進むのか…。

©日活

さてこんなところから始まる『丹下左膳余話 百万両の壺』は、夭逝の天才・山中貞雄の傑作として知られています。
もっともこの山中貞雄も現存作品は3本しかありません。本作と『河内山宗儁』、『人情紙風船』。そのいずれもが日本映画史上に残る傑作ですが、観終わって幸せ極まりない気分になるのは、今回上映する『丹下左膳余話 百万両の壺』でしょう。

実は本作は第5回宮崎映画祭で上映したことがあります。
当時の実行委員会のメンバや、それらの試写を見た人のそれぞれの興奮を思い出します。
いずれの人も、開口一番「面白い!!」といったものです。そう、いずれの人もです。数多くの作品を宮崎映画祭は上映していますが、こんな映画めったやたらにはありませんでした。
ということで20年続く映画祭のベストワンの作品としての上映です。

©日活

「こけ猿の壺」は思いもよらぬ方向に、次々とその真価を誰からも評価されないまま、人から人へと渡っていきます。そして最後、誰がこの壺を手に入れるのか? その時、百万両はどうなるのか? 肩肘張らず、どうか源三郎のように呑気にご覧ください。

【第20回宮崎映画祭上映作品その1】『忠次旅日記』

第20回宮崎映画祭上映作品ラインナップ第1弾を発表しました。
本日より、宮崎映画祭実行委員会ボランティアスタッフの面々に交替で上映作品を紹介してもらいます。まずはこちらの作品から!
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199112月。広島のある民家から映画上映用のフィルムが出てきます。
フィルムを知っている人ならわかるでしょうが、石油製品である映画上映フィルムというやつは経年と共に黄ばみ、縮み、硬化していき、最後はフィルムとは言えないような状態になります。幸いこのフィルムは劣化が激しかったようですが、映写機には掛けれないものの、慎重に扱えば編集機での確認はできるレベルであったようです。

本来ならばこのようなフィルムは廃棄物でしかないでしょう。
しかし、この民家の方が映画に詳しいかたであったのが幸いして、広島の映像ライブラリーに持ち込まれます。理由はそのフィルム缶に書いてある文字でした。書かれていた文字、それは『忠次三部曲』。

©日活

ここで1990年までの『忠次旅日記』をめぐる状況を説明しておきます。

三部作として知られる『忠次旅日記』は1927年にそのすべてが公開されています。
第一部「甲州殺陣篇」が3月、第二部「信州血笑篇」が8月、完結編である「御用篇」が12月。当時のキネマ旬報では第二部がベストワン、完結編も第4位という高い評価を与えられました。
批評家たちはこぞって絶賛し、観客はその続編を今か今かと待ちわび、そしてほかの映画作家たちはこの語り口に魅せられて…、とそういう映画であったわけです。
ちなみに1959年に行われたキネマ旬報の「日本映画を六十年を代表する最高映画ベストテン」では二位の溝口健二『祇園の姉妹』、三位の小津安二郎『生きてはみたけれど』を押えて堂々のベストワンになっている。
しかしながらと書かねばなりません。上の「最高映画」の中で、溝口健二『祇園の姉妹』、小津安二郎『生きてはみたけれど』は見る事が出来る状況が維持できていたものの、『忠次旅日記』は見る事が出来なかったのです。

どういうことか?
いろいろな状況があったでしょう、戦争、火事、配給と興行の杜撰な管理、
そしてなにより映画というメディアは後世に引き継いで保管するような代物ではないという当時の認識、これらの事由により『忠次旅日記』はその上映できるプリントがないと結論付けられており、いわゆる「幻の映画」であったのです。

そして数多くの映画批評家が、この映画を探し求めていました。
もちろん、それはそうでしょう。戦後の第二世代以降の映画批評家が、例えば『七人の侍』を褒めそやそうが、「けどお前さん、『忠次旅日記』をみてねえだろう?」といわれれば、何の反論もできないからです。

©日活

そんな映画が突然、広島に出現したのです。
広島の映像ライブラリーはもちろん、東京のフィルムセンターも「忠次かも知れない」と聞いた時、どのような言葉も発する事が出来なかったといいます。こうして東京に持ち込まれた8巻もののフィルムが、『忠次旅日記』であると同定されるには、さらに慎重な作業が必要とされます。

まぁ考えてみてください、我々は映画を見るとき、例えば『スタートレック イントゥダークネス』や『マン・オブ・スティール』を見ている時、これらは本当に『スタートレック イントゥダークネス』や『マン・オブ・スティール』なのか?、などと考えないでしょう。
しかしある一本の題名も知らない、登場人物も知らない映画を見せられて、これがどうして『スタートレック イントゥダークネス』や『マン・オブ・スティール』だと判断するのでしょう? なんとも厄介な仕事です。
実際のところ、『忠次旅日記』であるとの同定(「発見」であると言い切ってしまいましょう!)、そして上映可能な状態にまで持っていく復元作業は、一本の映画が出来るほどドラマに満ちたものであると聞いています。

©日活

こうして19921010日に『忠次旅日記』は甦りました。
もっともこのフィルムは欠落も多いことも知られてします。甦った作品は第二部「甲州血笑篇」の一部と、完結編「御用篇」の大部分であることが現在わかっています。
したがって本作を見て『忠次旅日記』を見たとは、本当の意味では言えないかもしれない。しかしここは声を大にして「それがどうした」と断言したい。かつてフランスのシネマテークの館長が云ったように「ミロのビーナスに腕がないからという理由で傑作じゃないとは誰も言わないじゃないか」と。

映画が好きな人に支えられて発掘・復元された映画史上の傑作を、映画が好きな人に支えられて第20回を迎えることになる宮崎映画祭で上映することができる。
20回に相応しい、幸福な映画上映になると考えています。